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昭和レトロ探索

懐かしい昭和時代の話や昭和レトロな場所を紹介

昭和の歴史の遺物、富士スピードウェイ 30度バンク跡地へ

      2018/11/24


静岡県の駿東郡にある富士スピードウェイに行ったので

前から見たかった今はもう廃止されている30度バンクを見てきた

所在地: 〒410-1307 静岡県 駿東郡小山町 中日向694
建設: 1963年12月19日
収容人数: 110,000
電話: 0550-78-1234

富士スピードウェイは60年代かつてイタリアのモンツァ・サーキットのように

急なバンクの付いたフルコースの1周6キロメートルもあった

しかし1974年(昭和49年)6月2日GCレース、シリーズ第2戦

あの1975年、77年、84年のF1ワールドチャンピオンのニキ・ラウダと

ヨーロッパF2シートを争いに破れたもののその後

1976年のF1ワールドチャンピオンになったジェームス・ハントの

1974年のF2時代のナンバー2ドライバーとしてのシートが決定していた、

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つまり1970年代当時は日本人にとって

雲の上の存在だったF1ドライバーに最も近づいた男、

風戸裕選手の命を奪った程の大きな死亡事故を起こした事もあって

それ以来使われなくなった

富士スピードウェイは1977年にF1で使われた時は

世界一平均速度が速いサーキットだった

が、現在もその跡地は荒廃しているが一応残ってるらしいので見に行った

メインストレートの先にあるので少し歩いて

あの先のようだ

看板の説明によると

富士スピードウェイの30度バンクは、

世界に類を見ない急角度バンクの下りコーナー、

1966年(昭和41年)富士スピードウェイ開業時から

1974年(昭和49年)までのおよそ10年間に数多くの名勝負が繰り広げられたが、

1974年(昭和49年)の富士GC(グランチャンピオンを略したもの)

2戦を最後にコースの安全性の理由から使用されなくなった

2005年のリニューアルを機に、

富士スピードウェイの歴史を語る1ページとして

「30度バンクメモリアルパーク」

として整備し30度バンクを保存することとなった

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バンクに行くための道

かつて死闘を繰り広げた30度バンクの跡地

もう草が生い茂り時の流れを感じる

70年代のスーパーカーブームの火付け役の漫画だったサーキットの狼の中の

風吹裕矢がの初レース流石島レースでもうず潮バンクが出てきて

多数のレースマシンが大クラッシュしている様子が出てくるが

実際危険だったようで30度バンクは廃止された

30度くらいのなら大した事ないようだが

実際に少し登ってみると真ん中までも行く途中でも転がりそうになる

登らないで下さいと注意書きもある、確かに危険だった(;´∀`)

廃止後は万が一のメインストレートでトラブルが発生した場合に

バンク方面に逃げられるエスケープゾーンとして残されていたが

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2005年の改修工事で

もうコースからも遮断されているので2度と使われることはないが

あの事故によって名ドライバー風戸裕選手、鈴木誠一選手の

尊い犠牲は出してしまったけれど命を懸けて戦かった場として

歴史を語る1ページとして保存してくれたのは良かった

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 - 廃墟, 昭和レトロ 静岡